昔、ESOTERICからコリン・デーヴィスとバイエルン放送交響楽団による「ベートーヴェン序曲集」のSACDが発売されました。私もオーディオチェック用に買って、しばらく聴いていました。
最近、そのSACDのライナーノートに菅野沖彦さんが書かれていたことをよく思い出すのです。
氏は、コリオラン序曲の演奏を例にとって、
「楽譜上では一小節の休みだから、当然そこに音はない。あるのは休符だけである。無論、この全休符が音楽的に極めて重要な意味を持つことは言うまでもないが、実際の演奏会や録音再生では、そこには楽譜にない音が響きとして実在する。ひとことで言えば俗に言う残響である。演奏会場やオーディオの録音再生では、むしろ、この部分のデリケートな響きこそが聴き所と言えるかもしれない。」
と書かれています。
最近、我が家のオーディオを聴いていて、出ている音よりも、出た後の音を聴いているのではないかと思うようになってきているからです。
ArchBOTIC+スーパーステレオでは、管楽器のホールに響きわたる音が素晴らしいのです。(もっとも音源によりますが。私は主にニンバスの録音でこのことを強く感じます。)
昔の録音は出た音は素晴らしいのですが、「その後の音」という点から言うと、最新の録音に負けています。というか、その点がこの50~60年の間の進歩なのでしょうね。